第37期9回研究会「メディアから東京を考え、東京からメディアを考える」(メディア文化部会) Reconsidering Tokyo as the Japanese Capital from the Perspective of Media Studies

メディアから東京を考え、東京からメディアを考える

日時 :2021年1月23日(土曜)午後4時から6時

方法 :オンライン開催

報告者:水出幸輝(京都大学特別研究員(PD))

    松山秀明(関西大学)

応答者:難波功士(関西学院大学)

司 会:大尾侑子(桃山学院大学)

趣旨:

新型コロナウイルス感染拡大のいま、「東京」の都市イメージが揺らいでいる。2020年に開催されるはずだった東京オリンピックは延期され、テレビや新聞、インターネットでは連日のように東京の感染者数の増減を報道している。本来、メディアイベントの中心地となるはずだった2020年の首都は、逆に、感染拡大が危惧される地域となり、政治、経済の中心地としての「東京」の地域的特性はゆらぎつつある。

本研究会では、水出幸輝会員と松山秀明会員によるそれぞれの近著を出発点に、「メディアと東京」の関わりの歴史を振り返り、現在の東京が置かれている歴史的、社会的状況をメディア文化研究の視点から検討したい。

まず、水出幸輝会員の著書『〈災後〉の記憶史』(人文書院、2019年10月)では、東京を襲った関東大震災と地方を襲った伊勢湾台風を事例に、日本社会における災害認識の変遷を新聞報道から通時的に検討している。そこでは1960年の「防災の日」制定が関東大震災をナショナルな記憶に押し上げていくことが指摘され、これは1960年代以降のメディア編成が「東京=ナショナル」という認識をより強固にしていく様子を示している。

続いて、松山秀明会員の著書『テレビ越しの東京史』(青土社、2019年11月)では、1953年に誕生したテレビが、戦後日本社会の東京観をいかに規定してきたかを通時的に明らかにする。1964年の東京オリンピックを頂点として以降、テレビは番組としても産業としても制度としても、「東京」という首都のイメージに大きな役割を果たしてきた。これもまた、テレビというメディアによる東京の一極集中化の様相である。

以上の2つの歴史的な議論をもとに、討論者に難波功士会員を迎え、まず「メディアと東京」をめぐる過去を考えたい(出版年から分かるように、それぞれの著書はコロナ禍直前に書かれている)。そのうえで、2020年に起きた変化について考え、これからの「メディアと東京」のあり方を参加者とともに議論したい。

お申し込み・お問い合わせは佐伯順子(同志社大学・メールjsaeki@mail.doshisha.ac.jp)まで、1月20日午後5時までメールでお願い申し上げます。

開催記録 

記録執筆者:大尾侑子(桃山学院大学) 

参加者:27名(オンライン、Zoom利用) 

報告: 

 新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、政治、経済の中心であり、世界的なポピュラーカルチャーの発信源でもある「東京」のイメージが揺らいでいる。2020年に開催予定であった東京オリンピックは延期され、連日の新型コロナウイルス関連報道によって感染の震源地としてのイメージが全国に波及した。 

 こうした状況に鑑みメディア文化部会では「メディアと東京」の取り結ぶ関係性を歴史的、社会的背景から捉え返すべく「メディアから東京を考え、東京からメディアを考える」というテーマを設定した。 

 報告者には、それぞれ異なる対象、角度から「メディアと東京」について論究してきた水出幸輝会員、松山秀明会員を据え、応答者に難波功士会員をお招きして、以下のとおり実施した。 

【第1部:メディアと東京】 

 まずは水出会員が著書『〈災後〉の記憶史』(人文書院、2019年10月)をもとに、新聞記事報道の通時的分析から日本社会における災害認識の変遷について論じた。1923年の関東大震災と1959年の伊勢湾台風の比較から、1960年の「防災の日」制定が、従来ローカルなものであった関東大震災をナショナルな集合的記憶へと押し上げたこと。くわえて、こうした「災害」の集合的記憶化(ないし忘却)の過程が、同時にローカルに過ぎなかった「東京」のナショナル化をも帰結したことが指摘された。その背景として水出会員が言及するのは、テレビの普及に象徴される1960年代以降のメディア編成の変化である。 

 水出会員による報告に応答するかたちで、松山会員が近著『テレビ越しの東京史』(青土社、2019年11月)をベースに、「戦後東京」がいかに作られたのかを、1953に誕生したテレビの歴史(①テレビの産業/制度構造、②テレビの技術、③テレビ番組)から明らかにした。1959年の皇太子ご成婚パレードや1964年の東京オリンピックなどのナショナル・イベント、1970年代以降のテレビドラマやバラエティ番組など、テレビはあらゆる方法で「東京」像を作り出してきた。しかし、2000〜2010年代以降、“テレビ越し”の「東京」措定が限界を迎える。松山会員はこれを「戦後東京」の終焉と表現する。 

 両会員の発表を受けて、『人はなぜ〈上京〉するのか』(日本経済新聞社、2012年)の著者である難波会員は『都市に聴け:アーバン・スタディーズから読み解く東京』(町村敬志、有斐閣、2020年)を取り上げ、「東京」を「ポピュラー・カルチャー圏」として論じうるのではないかと問題提起し、また分析手法としての概念分析の有効性について問題提起をおこなった。 

 その後、フロアより東京を「イメージ」として語ることが困難になっており、むしろ「まちづくり」や再開発のほうが、より東京や他の地域を活き活きと描くメディア実践たりうるのではないか? との問題提起がなされた。これに対して難波会員は、「東京/TOKYO」へ向けられる諸外国からのまなざしを導入することが、「メディアから東京を記述する」一つの方途となりうると回答。また水出会員の発表について、災害認識の「忘却」は災害の体験の有無やメディアの地域限定性によって規定されるのではないかとのコメントも寄せられた。 

【第2部:コロナと東京】 

 第2部では「コロナと東京」に焦点を絞り、水出会員より災害報道とコロナ報道の近似性が指摘された。「GO TOトラベル」を事例として、同施策にかんするメディア報道により国民の「コロナ禍」をめぐる当事者意識が涵養されたこと、さらには感染拡大状況のマッピングを通じて、日常的に日本地図を“見る”という体験の連続性が、国民国家イメージの強化につながるのではないか、という問題提起がなされた。 

 続いて松山会員より、「テレビ越しの東京」記述が不可能化(=「戦後東京」の終焉)したかに思えた2010年代末、新型コロナウイルス感染拡大によって、奇しくも「テレビと東京」の結びつきが再強化されたとの言及があった(本来、それは2020年東京オリンピックが担うはずであった)。 

 さらにコロナ禍によりテレビドキュメンタリーの「東京」描写に変化が観察されることや、動画配信プラットフォーム『Netflix』のオリジナル作品内で「人が消えた世界」としての東京が表象された事例などが紹介され、「メディアと東京」の関係に何らかの変化が生じているデータと見なしうるのではないか、との指摘もあった。 

 これを受けて、難波会員はテレビドラマ・映画監督の松本佳奈氏の作品を取り上げ、2010年代以降の「東京」の描き方にはどういった余地があるのか、「東京」概念の変化に触れつつ問題提起を行った。 

 その後、フロアより難波会員に向けて「グローバル化のなかで東京を論じる場合、報道とフィクションの違いをどのように捉えるえべきか?」という問題提起がなされたほか、東京というローカルを考えるうえで「江戸から地続きの東京ローカルと、グローバル都市TOKYO以後の東京ローカルとを区別すべきではないか」、とのコメントも寄せられた。 

 このように、本研究会は「メディアと東京」というアクチュアルな議題に、マスメディア言説/表象を資料とした歴史・文化研究の成果を踏まえて対峙するという、極めて意義深い機会となった。〈災後〉の記憶がメディアによって規定されてきたという水出会員の議論に照らせば、きたるべき“アフターコロナ”が、今後メディアによっていかに〈災後〉として描かれていくのか? メディア研究は注視しつづけるべきだろう。 

 さいごに、本研究会は二度目の緊急事態宣言のなかZoomでの開催となった。報告者による豊富な資料の共有やチャット欄の活用に加え、大学院生から非会員の方々まで、全国各地から多くの皆様にご参加いただいた。この場を借りて感謝を申し上げたい。