第37期7回研究会「近藤和都著『映画館と観客のメディア論 戦前期日本の「映画を読む/書く」という経験』(2020年2月青弓社)書評会」(メディア文化部会) A Book Review of Kondo Kazuto's Redefining Screen Experiences: Reading/Writing Practices of Spectators during the Prewar Period in Japan ( Eigakan to Kankyaku no Mediaron, 2020)

近藤和都著『映画館と観客のメディア論 戦前期日本の「映画を読む/書く」という経験』(2020年2月青弓社)書評会

日時 :2020年11月14日(土曜)午後4時から

方法 :オンライン開催

書評者:大久保遼(明治学院大学)

応答者:近藤和都(大東文化大学)

司 会 :石田万実(同志社大学嘱託講師)

趣旨:

映像文化研究はメディア学の重要な研究分野のひとつである。本研究会では、近藤和都『映画館と観客のメディア論 戦前期日本の「映画を読む/書く」という経験』の書評会を通して、映画館がオーディエンスに与えた経験の意味を歴史的、社会的背景とともに考えたい。

同書は、戦前期日本における映画館での観客の体験を、プログラム記事や映画批評等の言語情報の関わりとともに論じており、映画学の分野でなされてきた監督、作品研究とは異なる視点からの、メディア横断的な独創的研究成果である。

書評者に、メディア論、映像文化史のご専門である大久保遼先生(明治学院大学)をお迎えし、ご専門の知見から書評をいただくことで本書への理解を深め、著者、出席者をまじえて討論することで、近代日本における映像メディアとオーディエンスの関係について議論を深めたい。

●申込み方法●zoomで開催予定です。参加をご希望の方は、前日(11月13日)午後9時までに佐伯宛  jsaeki@mail.doshisha.ac.jp にご連絡ください。

開催記録

記録執筆者:石田万実(同志社大学)

参観者数:44名(オンライン・zoom利用)

報告:

 近藤和都著『映画館と観客のメディア論 戦前期日本の「映画を読む/書く」という経験』(2020年2月青弓社)の書評会をオンラインにて実施した。

 書評者は、本書の意義として①オフ・スクリーンの映画経験に焦点を当てたこと、②映画館プログラムを独自のメディアとして読み込んだこと、③映画批評やシネフィルにつながる新たな映画主体の誕生の過程を明らかにしたこと、④映画・テクスト・空間(映画館や都市空間)の連関を明らかにした点、⑤映画をフィルムという物質性から捉えたことの5点を挙げ、以下のように述べた。

①我々は映画館の外で映画的なイメージを受容し、映画経験を思い出しているにもかかわらず、従来の映画史・映画研究において見過ごされてきた「オフ・スクリーン」の映画経験をメディア研究の対象とした点が本書の重要な貢献のひとつであり、映画と二次的なメディアの連関という視点から実証的に記述した点に独自性がある。

②映画館プログラムを映画史の資料としてではなく、当時の映画経験において重要性がある独自の情報様式を持った情報蓄積・処理・伝達メディアとして捉えて分析し、映画や観客との多層的な関係を解明した。

③映画館プログラムを介した「観ること・読むこと・書くこと」の循環は、映画経験や映画をめぐる場を変化させた。これにより新しい映画的主体性が形成される過程を明らかにした。

④映像メディアと出版メディアの連関を明らかにするだけでなく、映画館プログラムにおける循環構造は、映画館という空間の再編や都市空間における映画イメージの浸透にもつながっていったという空間的な次元とのかかわりを指摘した。これは現代の映画館や、都市の中の映画イメージを考える上でも重要な論点である。

⑤モノとしての「フィルム」が映画経験を強く規定していると強調することで、映画のモノとしての不自由さにより、ほかのマスメディアと空間的・時間的条件が異なることを指摘し、フィルムの物質性の視点から規格化と統制を捉え直した。

さらに書評者から、「本書の歴史記述が現代の映像文化研究にどのような新しい方法的な視点をもたらすのか」、「オフ・スクリーンの映像経験という視点は、スリープモード化した現代のスクリーン経験に対しても有効な視点と言えるのか」、「オフ・スクリーン経験としての音を、映画館プログラムとの関係のなかでどのように捉えることができるのか」、「スクリーンの裏側に注目する近年の研究動向と、本書が示したオフ・スクリーン研究やオーディエンスの捉え直しはどのような接点を持ちうるのか」との問題提起があった。

 次に著者から本書について、「映画館プログラムの多様な機能を腑分けするためにモノに焦点化する記述を選択した」、「映画観客論における「映画を観る時と場」が大事であるという研究の前提は自明ではないことを示すために、映画研究で二次的なメディアを論じた」、「現代のメディア環境が戦前期の映画館プログラム文化と近いと感じたため、現代のメディア文化を論じるときの参考になるようなものを狙いとしていた」、「観る経験・読む経験との関連を意識しながら情報インフラを論じることで、「映画を観ている時と場」を観察しても明らかにしにくい受容のあり方を変容させる要因を浮かびあがらせようとした」との説明があった。また、書評者の指摘や問題提起に対して「映画館プログラムは映画について語り、書き、読むことを特別な人ではなく、普通に映画館に行っていた人たちが行っているため、シネフィルよりも広い議論の場を提供した」、「本書の対象は情報インフラとしてのスクリーンが成立する以前の段階のため、スクリーンとオフ・スクリーンを切り分けることができた」、「現代の「途中で観ることを止める」文化をメディア論が対象にする際は、映像表現の分析とは違う枠組みが必要である」、「音とオフ・スクリーンについては「レコードを読む・見る・飾る経験」を考えることが重要である」、「インフラから受け手と作り手の両方に議論を広げることが可能である」と述べた。

 参加者との質疑と討論では、映画館プログラムと映画雑誌の読者層について、映画主題歌等の口伝的な部分に関する映画館プログラムや映画館の役割、観客の「書く」という行為に注目する意義、作品の自律性と観客が「書かなくなった」プロセス、オーディエンスの実践という後に残りにくい対象を分析する際にモノとしてのメディアに注目することが有効であること、百貨店といった他の都市空間や消費文化の客層や機能との関連を考えることの重要性、観客が投稿する映画館プログラムはプロのジャーナリストがいない明治時代初期の新聞を継承しているのではないか、などが話された。議論を受けて書評者と著者は、映画館プログラムは「読む・書く」という経験が敷居の低い形で提供され、機能していた、映画館プログラムによる映画を「観る・読む・書く」という経験が、映画雑誌や専門的な批評へと分化していくことが議論から見えてきた、音についても二次的なテクストから音の経験と映画経験の関係を探る必要がある、映画史にメディア研究の視点を入れることは現代の映像文化やメディア環境の分析にも応用できるとまとめた。

 本書評会を通して、従来の研究で焦点を当てられていなかったオーディエンスの経験に注目することの意義や、メディアの物質性、メディアをめぐる都市空間とのかかわりなど、今後の研究の可能性や課題が確認できた。お忙しいなかご参加くださった皆様に心より感謝申し上げます。