第37期5回研究会「 丹羽美之著『日本のテレビ・ドキュメンタリー』(2020年6月、東京大学出版会)書評会」(メディア文化部会) A Book Review of Niwa Yoshiyuki's A Study of Japanese TV Documentary Programs ( Nihon no Terebi Documentari, 2020 )

丹羽美之著『日本のテレビ・ドキュメンタリー』(2020年6月、東京大学出版会)書評会

日 時:2020年9月12日(土曜) 14:00~16:00

方 法:オンライン開催

書評者:秋山浩之(TBS) 

応答者:丹羽美之(東京大学)

司 会:佐伯順子 (同志社大学)

趣 旨:

メディア文化部会では、テレビ・ドキュメンタリー研究の発展のために、丹羽美之先生のご近著をめぐる書評会を開催いたします。本書は、アーカイブスを駆使して研究を進められてきた著者による、日本のドキュメンタリー番組の歴史研究であるとともに、『日本の素顔』『ノンフィクション劇場』をはじめとする個別のドキュメンタリー番組に関する詳細な番組研究でもあり、テレビ文化研究に多くの視座を提供してくれる重要な研究成果です。現在は映画監督として活躍する是枝裕和を含むテレビ・ドキュメンタリー番組の制作者たちが、どのように日本社会を描いてきたのか。それは、日本の映像史、社会史を考える上でも幅広い議論を喚起するものであり、書評者として、テレビの現場を熟知なさっているTBSの秋山浩之氏をお迎えし、民放とNHKの比較、コロナ禍におけるドキュメンタリーの可能性といった喫緊の社会的課題に関連する視点も含めて、多角的な議論ができればと思います。  

(ズームで開催予定でございます。ズームご招待のため、ご参加をご希望の方は、前日午後9時までに佐伯のメールアドレスにjsaeki@mail.doshisha.ac.jpご連絡をお願いできれば幸いでございます)

                      メディア文化部会 佐伯順子

開催記録

記録執筆者:佐伯順子(同志社大学)

参加者数:32人(オンライン、ズーム利用)

報告:

丹羽美之著『日本のテレビ・ドキュメンタリー』(東京大学出版会、2020年)の書評会をオンラインにて実施した。まず著者より、文化や歴史を通して社会を考える観点から、メディア文化部会で本書を取り上げることに意義があり、本書には①制作者論②番組論・テレビ論③戦後社会論の三つの層があるとの説明があった。

書評者・秋山浩之(TBS審査部長)氏は、パワーポイントを用いて、本書の注目点として1)民放アーカイブの閉鎖的環境を乗り越えた、2)ドキュメンタリー番組の系譜をチャート化した、3)ローカル局やプロダクション制作者も視野に入れた、4)現役テレビ人が読んでハッとする箇所がある、の4点をあげ、チャートの作成の背景に、著者の民放各局倉庫所蔵資料への地道なアクセスの努力があり、このチャート自体に重要な意義があること、キー局局員のジェネラリスト化、トップニュースの優先等によって、質の高いドキュメンタリーを制作できるスペシャリストが衰退し、ドキュメンタリーが添え物的になってしまったのではないかとの反省を迫られたこと、映像と音声の間に良い意味での緊張感があった初期のテレビ・ドキュメンタリーと比較すると、その後の技術的発展が、映像、音声、テロップ等の「厚化粧」を招き、テレビ表現がかえってつまらなくなってしまったのではないか、紋切り型の表現に陥りがちになってしまっているのでは、との指摘があった。また、30年来のキー局報道部でのご経験から、「文学」は報道とは無縁の言葉とうけとめていたが、報道の現場にも「作家性」や個人の表現、主観性の尊重があってよいのでは、あわせて、現場では上司として視聴者に対する「わかりやすさ」を求めがちで、難しさをともすれば排除する傾向があったが、わかりにくさに挑戦したり、作家性を育てたりする姿勢があってもよいのでは、とのご指摘もあった。

参加者からは、ドキュメンタリーの中央集権化や、80年代における一部テレビ局のエンタテインメント志向への変化との関連について質問があったほか、地方局が制作する優れたドキュメンタリー番組が、番組の「甲子園」的な場に出て全国的に認知されればよいのだが、埋もれてゆく番組やドキュメンタリー未満のような記録映像をどう評価し、残してゆくのか、ドキュメンタリー制作の技術的継承はどうなるのか、ドキュメンタリー番組のゴールデンから深夜帯への放送時間帯の変化をどう考えるか、スポンサーとの関係はどうか、などの質問と問題提起があった。

全体討論において、ドキュメンタリーの制作が70年代から80年代にかけてキー局からローカル局や独立プロダクションなどに移行し、ドキュメンタリー作家のキー局を離れた再配置がおこっているのでは、キー局の商業主義化や、民放において調査報道が個人よりも集団作業化することによって個人がテーマをもって発表する「報道の魂」的なものが衰退したのではないか、むしろ地方局にこそ「サムライ」がいるのではないかとのメディアの現場の現状についての議論があった。著者は近年の女性アナウンサーやディレクターの活躍の例をあげ、政治報道中心ではない地方局のほうが、男性中心的価値観を打破する表現が可能になるのではとも応答され、メディアとジェンダーについても示唆に富む指摘があった。

本書評会を通じて、放送局出身の著者ならではの経験に裏打ちされた研究成果と、現役テレビマンである書評者、また、放送人と大学人が一同に会するマスコミ学会ならではの社会と学問の連携による議論が活性化し、放送の歴史イコールNHKの歴史とならないように意識した本書の幅広い研究の意義を確認するとともに、テレビ文化の活性化のための同時代的、将来的課題も明らかになり、結果としてメディアの現場への、テレビ文化に関する最新の研究成果をふまえた提言が可能になったといえる。

テレビ文化研究が評論ではなく「学問」として成立するための一次資料の精査を含む方法論的条件、学術研究をメディアの現場へつなげるテレビ文化研究、ひいては人文社会系研究を横断する学際研究の社会的存在意義も確認でき、アーカイブの活用による今後のテレビ文化研究の進展可能性を拓くことにも寄与できたかと思う。ドキュメンタリー番組と音楽の関わり、バラエティー番組やワイドショーなども視野にいれたドキュメンタリー機能の分散など、今後の研究課題も示された。オンラインならではの海外や日本各地域からの参加、非会員の方のご参加も通じて、現場と研究をつなぎ、国際的にも地域的にも学際的にも開かれた議論を実現してくださった多くの参加者の方に心より感謝申し上げる次第である。なお、本研究会の様子は『民間放送』(日本民間放送連盟、9月23日付)にご紹介いただきました。オンライン取材をいただき、感謝申し上げます。